2017年2月 9日 (木)

沖縄よ 許せ!

 かつて、衆参両院で国会議員を務めた宇都宮徳馬氏が、私財を投げ打って発行し続けた『軍縮問題資料』という月刊誌があった。私も連載コラムや署名記事を書かせてもらっていた。
「トランプ」という名のウイルスが世界に拡散し、
2度の世界大戦の反省から「地球市民」の創造を目指しきたこの60年を、「排他的ナショナリズム」時代の振り出しに戻そうとしている。こうした「アベトラー」時代にこそ、『軍縮問題資料』のようなリベラルなメディアが存在し、世界平和を求める人々の言論プラットホームの役割をすることが求められているが、それはかなわぬだ。

 その『軍縮問題資料』№901988年=昭和63年=5月号)に、母親が『沖縄よ許せ!』と題した一文を寄稿していた。母は1992年(平成4年)に亡くなったが、沖縄で戦死した実弟の思い出と沖縄墓参を通した「非戦・平和・軍縮」の願いが記されている一文を再掲したい。

 

沖繩よ許せ!

松尾清枝

 

 八十歳になる女学校の同級生から来た年賀状のなかに、「戦争の歌は悲しい歌です。せめて私達の世代だけで戦争の体験は終わりにしたいものです」という文章がありました。そして「どうか戦いのない世界を実現するために祈り続けてください」という言葉もありました。

 本当にそう思います。神に祈る最も大切なことは、世界の平和・地球の平和です。思えば、八十年前に生まれた私達は、戦争について十分な知識と理解がありませんでした。戦争を良いことのように思い、連合軍に打ち勝つことが正義と教え込まれていました。忠君愛国の道を選び、軍服をまとっている人をなによりも尊敬したものでした。 

しかし、明治・大正・昭和の三代を生き、年老いた時、大きな過ちが繰り返されてきたことを考えさせられるようになりました。そして、終戦四十三年目を迎えた今、新聞に雑誌に、また人の言葉に、再び戦争が起きる恐れを思わせられ、胸が痛む思いで一杯です。

    *    *     *

 私は明治四十一年、六人兄弟の長女として仙台で生まれました。ロシア文学が好きな父が北海道庁会計課に勤務するようになり、一家は札幌の道庁官舎に移り住んでいました。

 昭和十三年のことです。父と母の期待を背負った次男が北大を卒業して、農林省に就職することが決まりました。父と母にとってはどんなに大きな喜びだったでしょう。弟の将来にすべての夢を託して、三日も四日もいろいろな関係者を招いて、卒業と就職の喜びを味わったようです。そして弟も希望に満ちて上京したのです。

 ところが、間もなく一銭五厘の召集令状、いわゆる「赤紙」が北海道旭川連隊から来たのです。しかし親たちは、それほど長い兵役ではなかろうと楽観していました。必ず生きて帰って来るという願いをもって、帰る日を待ち続けていました。

 しかし、軍隊の手に連れていかれた弟は、どこへ行ってどうしたのか、手紙も自由に出せない厳しい軍律の中で、父も母もその消息を十分に知ることが出来ず、相次いでこの世を去っていったのです。

 ある月夜の晩のことです。結婚して東京・麹町に住んでいた私の所に弟がやって来ました。立派な軍服に身を包み「姉さん、札幌で食べた林檎を食べたい。一切れでもいい。今晩竹芝桟橋まで持ってきてくれ」。月の光の中で、弟はそれだけ言って立ち去りました。その晩一私は買えるだけの林檎を買って竹芝桟橋に行きました。

「有り難う。姉ちゃん、さようなら」

 軍服姿の弟は、月の光の中で凛々しくこう言いました。私はこれがこの世の別れとも思わず「しっかりやっておいで、お国のために立派に死ぬんだよ」、そんな言葉を弟に投げ掛けたのです。そして、良い事をした、良い事を言ったという思いで二時間ほどの道を帰ってきました。

 戦火は激しくなるばかりです。私達も、連日の空襲を避け、仙台に疎開していました。軍部が一億玉砕を強調し始めた昭和二十年五月、「渥美慶彦、沖縄で名誉の戦死」の報が届きました。絶望的な戦況のなか、食糧も弾薬も尽きて、弟は死にました。せめて、あと三ヵ月早く戦争の終結が宣言されていたら……弟たちは死なずにすんだ。広島、長崎に原爆が落とされずにすんだ。そう思うと涙が止まりません。

戦後三十年近くたった夏のことです。沖縄の土の中から弟たちの遺骨が見つかったとの知らせが、北海道の妹たちのもとにきました。妹夫妻がすぐに行きました。健康を害していた私は同行することができませんでした。しかし一昨年の三月、妹二人と娘が私を沖縄に連れて行ってくれたのです。

 終戦四十年たった沖縄は、私に何を見せてくれたでしょう。そこには戦いの道があるだけでした。弟たち兵隊が、朝に夕に逃げ隠れた石の洞穴が。右に左に並んでいました。そして一銭五厘の赤紙で日本各地から呼び出された兵隊たちのお墓が、各県ごとに一軒の家のように大きく造られていました。その一番奥に大きく座っていたお墓こそ、北海道から徴兵された兵隊たちのお墓でした。

 ちょうど、何人かの団体旅行の人々が、持てるだけの花を持ってお墓を飾ってくれました。私達も旅の途中に用意した、弟の愛した花を持ってお墓の前から後から、そして脇から、「よしひこ!」とその名を呼びました。もちろん、何の答えもありません。私たち四人は泣けるだけ泣き続けるのでした。

 沖縄生まれのガイドさんに促されて墓地を出ました。二、三ヵ所の名所を見ましたが、私はただ落ちている石を拾ったり、洞穴のカケラを拾ったりしてお土産にしました。

 米軍の家族の家は美しく色塗られ、芝生は綺麗な緑になっていました。けれども沖縄の人たちの住居は嵐の吹き荒ぶ、日も当たらぬ所に並んでいました。そして、戦いに残された老人が歩いていました。私は心の中で「ごめんなさいね。私達が悪かったのです」と言いつつ、その人たちの前を通りすぎたのです。

      *     *     *

 沖縄で死んだ日本人は二十五万人といわれます。そのうち沖縄県民は、女学生から赤ん坊まで十五万人と記録に残っています。年に何度か日本を訪れる中国残留孤児の方々の辛い話を聞くたびに、私はこの苦しみを味わった沖縄や中国の人々に謝罪し、同時に私達自身が味わった戦争の悲劇に思いを馳せるのです。

 敬愛する内村鑑三先生の最大の祈りは「平和の実現」でした。八十歳になろうとする今、二度とこの世に戦争が起きないように、二度と戦争によって悲しい思いをする者が出ないように、世界の平和、人類の平和のため軍縮の実現を祈り続ける人生でありたいと思います。           
(まつお きよえ・双恵幼稚園前園長)

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2017年1月11日 (水)

あみの「大仏アウトレット」で見つけた!

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自年になって大仏アウトレットこと「あみプレミアム・アウトレット」に2度も行った。1月2日は大混雑で駐車するのに15分ほどかかったが、平日の10日はガラ空き。「こんなに客なしで潰れないか?」といらぬ心配をしたが、輸入生活雑貨店「PLAZA」で見つけたのがこれ。「お部屋のインテリアにもなります」と宣伝していたので、わが家の和室に飾ってみた。

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しかしこれ、単なるインテリア雑貨ではない。静岡が本社の㈱AKAISHU」が製造販売している「TSU‐BO HEAD」(ツボヘッド)なるアイディア商品です。「あたまのツボを手もみ感覚で爽快刺激!」する、ポリピロピレン製の優れものなのです。早速、頭に装着してみた古希男2人、正月・酒ボケした頭のツボを刺激してみました。うーん、なかなか良い刺激です!


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2017年1月 5日 (木)

本年もどうぞよろしく!

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「最近、めっきり更新がない」とお叱りを受けています『ネコヒカリ』です。
身辺雑感、プライベート報告以外、記録に残すことがあまりないのですよね。しかも、思い付きやつぶやきはSNSを使ってしまうし……
仕事のご案内は『ガーデンハウス猫の手』のホームページをご覧ください。
では、本年も懲りずに、時々、立ち寄ってください。

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2016年11月 5日 (土)

65年前の母親の寄稿を国会図書館で発見

 母親が65年前に寄稿した雑誌『保育』の記事を義兄が発見、国会図書館からコピーを入手してくれた。書かれた時は小生、3歳半の幼児。NHK朝ドラの定番パターンではないが、戦後の復興の中で希望と理想に燃えた一人の人間の熱い心が一字一句から読み取れる。転載許可を得ていないが「多くの人に読んでもらいたい」との愚息の一途な気持ちから文章を起こして再録させてもらう。

書誌名 『保育』 昭和2612月号(1951-12) 全日本保育連盟編
特集頁〝宗教教育〟(国図晝館所蔵)
1行の文字数、行替えは原文通りではありません。原文を忠実に再現するため漢字もできるだけ旧字体にしましたが、尊敬の尊、保母達の達、熱情の情はJIS、MS-IMEにないため新字体に変えています。また、一部漢字にルビを振りました)

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宗教幼稚園の經營とその特質

  浦和市 双恵幼稚園 松尾 清枝 

再建日本の國民の中に、最も重要で、そして緊急な事項として、取り上げられたものは、教育の改革と新しい教育の實施でありました。米國教育使節團はその二回の訪問をもって、日本の文化の各方面を視察して三千年の歴史の中に生じた多くの思想の誤り、教育の隘路(あいろ)を指摘して、自由と平和を標榜する民主的教育の原理を示し、新政育カリキュラムを生み出すしげきを與えてくれました。こうして荒廢した國土の中に教育という運河がひらかれて、これが總ての復興の母胎となるように導かれて参りました。

こうした教育の熱心はまた幼兒教育の畠にもその手がのばされ、殊(こと)に本年はフレーベル百年の記念の年として街頭に、晝齋に、講演會に、修養會に、彼の聲を聞き、彼の姿にまみえて、多くの幼兒教育者が自分の仕事に対して鋭い批叛を受け、反省と決意が促されました事は誠に喜ばしい事でありました。

私自身も、こうした活潑な動きの中に置かれて、また自分の周圍に集ってくる幼兒の輝かしいまなざしに勵まされてまことの新しい幼兒教育、殊に十年二十年の人間の教育の出發となり、土台となるべき幼兒教育の責任者として、夜晝、色々と思いなやみつつ生活している者であります。「保育」編集者の熱意にお應えして、貧しい所感を與えられた表題のもとにまとめてみたいと思います。 

一、宗教幼稚園の經營について 

宗教幼稚園は、その經營の目的を、人間の教育の根本宗敦でおり、人格の完成は唯一人在し給う眞の神の知識について、熟練する事にあると、考えて、宗教の知識と訓練を計る所にあります。教育の目標として神を考え多くの無神論的、また汎神論的教育哲學に對抗して、宇宙の主宰者にして、唯一人在し給う、そして木や石でない眞の人格的神を基本として、教育を考える教育であります。

最近の都會の復興の姿は實に急速であり、華やかであります。然しそれに比例して、人心の腐敗、殊に青少年の道徳的堕落は實に深いものがあります。 

空の星、野の花、母親の懐に無上の夢を描いた幼兒は、今日は金銭の浪費、享樂的個人主義に押し流されて、家庭の躾け、親子の愛                              、献身と犠牲の精神が影をひそめて行くように思われるのであります。この故に私は一日も早く、一人でも多くの幼兒に、神の姿を示したいと願い、宗教幼稚園の經營が自分に与えられた新日本の為め唯一の使命の道であると信じているのであります。 

 一、特質について 

 原理は搖がず、希望は大きくありますが。現實は必ずしも、そんなに華やかではありません。理想が高ければ高い程、幼兒に對する教育的評価はきびしくなり、また設備の方面についても次々に問題はおきて參りますが、實際の様子について一、二取上げてみたいと思います。

(イ)禮拜 

 禮拜は宗教幼稚園の教育課程の重要な一項目であります。入園式の日から、幼見は敬虔(けいけん)に手を合せる事、目をつぷる事、讃美歌を歌う事、聖晝の言葉を暗誦する事、聖晝のお話を聞く事を訓練させられます。入園希望の晝式の中に、子供の躾けについて希望する所を拾い上げて見ますならば、一四〇名のうち殆んど八〇%は「素直な子供」「禮儀正しい子供」「善惡の批判の出来る子供」「神を信仰する子供」となって居ります。稀に、音樂、繪晝、算数などについての専門的な希望もありますが、大半はの躾け、人格の訓練を願い、神を拜して、人生の荒波の日にも正しく處して行く事を祈る親の心であります。

(ロ)個人尊重

 今日の新しい教育の方針が個人を重んじ一個の人格が一切の形成原動力であると考えて、一的教育を避けてどこまで自由、且つ創造的な人格の養成を主眼として居りますが、これは眞に私共の教育方針と一致する所でありまして、イエス・キリストは「幼兒の一人をつまずかせるものは、石臼をその首にかけられて、海の深きに沈められる方が益(えき)である」と申されました。私共は大勢の子供の中の只一人も失う事のないように、むしろ不幸な者、弱い者の爲に心をくだき、保母達の愛の足りなさ、注意の足りなさを警戒しつつ、ガイダンスの努力も致しているつもりであります。

(ハ)社會性の訓練
 新設育課程の特徴が社會的協同生活を重んじ、社會の良好分子である公民を養成する事をもって教育目標として居りますが、これはまた基督教々理の大事な一面でありまして、幼子は幼稚園の庭において、「受くるよりも與うるは幸いである事」や「右の頬を打たれても左を用意する事」また「御國を來たらせ給え」の祈りこそ、人間が神に捧げ得る最大の祈りである事を覺えて参ります。そして世界の厤史の中に香り高く永遠にっている藝術も科學も文化も一切のよきものは、己れを捨てて、會と文化のために戦った人の遺産である事を知って、幼き者は、神と人とに奉仕しようという輝しい人生の希望を抱くのであります。 

(ニ)これにつれまして、P・T・Aの活動も愛と犠牲を喜び、様々の季節毎の行事や、設備の爲の費用を産み出すために、會長、副會長、幹事會を中心に、協力奉仕して下さって、幼稚園の成長と社會文化の向上に努力して下さって居ります。

(結)「いざや。我等をわれらが兒童に生かしめよ」フレーベルのこうした熱情にまされ、「幼子の我に來るをとどむな」と招き給う主イエスにする信仰の故に、力弱く、資力乏しい者でありますが御用に當らせて頂いて居ります。

 

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2016年7月20日 (水)

夏野菜のてんこ盛り!

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『猫の手農園』は夏野菜収穫の真っ最中です。写真は本日の収穫。
キュウリは毎日10本前後採れます。5月末からの累計で211本。苗は4本です。
ちなみにミニトマト以外のトマト、ナス、ピーマンはそれぞれ50個、ズッキーニ20本、アスパラガス40本……すごいでしょ。半分以上は近所に配っています。

今日は、ラグビー・スイカが4つできたのでひとつ採ってみました。
手前のナス色の巨大物体はイタリアナスの「バイオレッタ・ディ・フィレンツェ」。畑仲間の初収穫に出くわし、半分もらいました。
野菜欠乏症の方、わが家に来るなら今が絶好機です!

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2016年7月12日 (火)

鳥越さんの立候補で思うこと

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 鳥越俊太郎さんが「石原慎太郎→猪瀬直樹→舛添要一」と三代続いた「悪代官」の後釜に立候補することを決めた。2005年に大腸がんを患ってから肺・肝臓などへの転移で4回の手術を体験、昨今は「ニュースの職人」というより「がん保険・アフラックの宣伝マン」のキャラがウリとなっていた鳥越さんがナゼ? 任期途中で体調を崩したら、それこそ選挙費用50億円が吹っ飛ぶし、任期満了できない知事が4人続いてしまう……

 もう時効だから書いてもいいだろう。鳥越さんが『サンデー毎日』編集部にいた時に、知人が『毎日新聞政治部』から『サンデー毎日』に左遷された。ある政治家のパーティーで会うと「なにかネタない?」と言う。たまたま1カ月ほど調べていたがウラが取れずに書けないネタがあった。そっと教えたら2週間後に『サンデー毎日』がスクープした。「浜田幸一は前科一氾」の記事である。殺人、婦女暴行で懲役1年。浦和刑務所(当時)で服役した。このネタのウラを取り記事を書いたのが鳥越さんだった。よく週は飛行機に同乗して「ハマコー・ラスベガス・とばくツアー」をリポートした。

 数年後、『毎日』を辞めて『テレビ朝日』のキャスターに転身した鳥越さんは小宮悦子と絶妙な司会進行をしていたが、ある時、週刊誌に「疑惑」を書かれた。ご本人が「誤解を解きたい」と一席を設けたので出向いた。「でも、悦ちゃんの足ってきれいですよね」と振ったら、うれしそうに相槌を打った鳥後さん。正直で、ウソのつけない人だと思った。

 日本でインターネット新聞への関心が高まった2006年8月、韓国発の『オーマイニュース』が創刊され鳥越さんが初代編集長となった。ボクも当時、別のネット新聞に関わっていたが、活字人間の鳥越さんがネット新聞で何をやろうとしているのか皆目分からなかった。分かったことは、編集長の年棒が3000万円ときたことぐらい。石原伸晃じゃないが「最後は金目でしょ」といういう言葉がよぎった。以来、付き合いはない。

 都知事選立候補という選択、べつにどうでもいいけど、NHKの「ファミリーヒストリー」で紹介された家系図がニセモノだったと『週刊新潮』に書かれたり、何事にも「脇が甘い」のが気がかりだ。晩節を汚さないことを祈るばかりだ。

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2016年6月19日 (日)

「父の日」雑感

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 本日6月19日は日本全国的に「父の日」だそうで、私メにも2人の息子とその連れ合いから感謝状やお祝いが届き、食事もご馳走になりました。誕生日と父の日が1カ月ちょっと間にあるので誕生日優先。「父の日」でのこのような盛り上がりは、父親になって40年初めてのことでした。さらに大きなプレゼントもあったのですがこれは内緒。
みんな、ありがとう! 来年もヨロシクwww

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2016年6月11日 (土)

アリオ柏の『北原ミュージアム』

5月GWにオープンした「セブンパーク アリオ柏」に行ってみた。オープン直後、北原照久さんのトークショーを目当てに駆け付けたのだが、周辺の交通大渋滞=駐車場入場不能のため帰宅。リベンジマッチとなったが、平日のためスイスイ、楽々入場。
それにしてもデカイ。つくばのイオンモールとか大ショッピングセンターは数々あるが一つひとつの店舗が大きい。そしておしゃれだ。しかし、どこに何があるのか、店内迷子を増殖させる設計で、気疲れは半端じゃない。
お目当ての『北原コレクションミュージアム』は2階にあった。エリアNo.226、区分は「ミュージアム・ショップ・カフェ」だ(写真は外側壁面のディスプレーです)

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 入口にデンと置かれたピンクのキャデラック(おもちゃではなく本物です)には「don't touch」と張り紙がしてあるのに、オジさんや若者達はベタベタ触っています。
そして、「入場料500円」を払ってミュージアム・コレクションを見る人は少なく、次の店に立ち去って行ってしまいました。コレクションを見る目的で人が訪れる横浜・元町の「ブリキのおもちゃ博物館」、「箱根北原ミュージアム」とはかなり様子が違います。「ショッピングついでに入場料を払ってコレクションを見る」という行動につなげるのはなかなか難しいのではないかと……老婆心ながら思った次第でした。

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2016年6月 1日 (水)

「猫の手」農園、本日の収穫

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『猫の手農園』は本年も順調です。
本日の収穫の一部をご覧に入れましょう。
キャベツ、ダイコン2本、キュウリ5本、青梗菜3個、ナス2個、の他、カブ・春菊・小松菜・ガーデンレタス・ジャガイモと大収穫です。今年はナス、キュウリの収穫が半月から1カ月早い。地球温暖化の影響か、はたまた得体の知れない何かの仕業か……前期高齢者家庭では食べきれないので、いつものように近所の知り合いに配りました。後から「おいしかった!」と言ってくれる人にはまた差し上げていますが、無反応な方には一回限りのプレゼントとしています。だって、美味いとも、不味いとも感想がない無味覚人に、「完全無農薬・有機肥料の野菜」を作るため、畑で虫を潰す苦労と楽しみを分かち合えない人は、二度とあげる気にならないからです。

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2016年5月 6日 (金)

人生70古来稀なり

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 古希の祝いは、数え歳70歳(満69歳)でやるのが世の習わしだったようだが、高齢化社会の今は満70歳で祝うのが相場らしい。5月5日の子供の日、めでたく満69歳となりました。
来年は「人生70古来稀なり」の祝いです。「少年老い易く学成り難し」を実感しつつ、体力の現状維持を図ろうとエネルギー源であるビールを飲みほしました。

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2016年4月27日 (水)

足利フラワーパークの藤と人

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GWの大混雑を避け「足利フラワーパーク」の藤を先取り見学に行ってきた。 「花の咲き具合により料金が変動」するこの公園は、416日~522日が最高値のお1人様1,700円。100円割引チケットを車の中に忘れたため200円損をしたが、9,200㎡の園内は花・花・花と人・人・人。定年族とバスツアー客を中心にごく一部の若いカップルが1眼レフ、デジカメ、スマホ、ケータイ、タブレットで写真を撮りまくっていた。

あんなに写して後始末に困るだろうと余計な心配をしたが、年間入場者100万人を超えるフラワーパークの藤は本当に立派。ツツジなどその手の花も充実していて、見る価値は十分にある。

だが食事処は大混雑。ピーク時間をずらしたつもりの1時半でも「おそばは50分待ち」状態が続く。どの食事処もレジが少なく(2つしかない)ソフトクリーム買うのにも15分待ち、ペットボトルも園内には自販機がないのでこの列に並ばなければならない。1700円もの入場料を取るのだから、客の人数に応じてレジを増やすとか「何分待ちです」との掲示を出すとか、ちょっと工夫すべきだろう。

これでは団体ツアー客は1時間ちょっとの滞在だから落ち着いて大藤や八重黒龍藤を見ることができないのではないか。ついでに言えば「簡易トイレ」はイメージダウン。園内で売っている花木の値段が高すぎる……

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2016年4月 5日 (火)

牛久シャトーの桜満開

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 たまたま牛久シャトーの前を通りかかったら、桜が満開でした。震災で傷んだ国の指定重要文化財「本館」、「神谷傳兵衛記念館」の修復工事も終了。営業は7月再開を予定しているそうだが「桜まつり」で大賑わいだった。太い枝や幹が伐られてしまった古木も多いが、メンテナンスや切り口の処理がしっかりしているので毎年、多くの人を喜ばしている。 

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2016年4月 3日 (日)

『零細起業』のkindle版を自作・出版しました!

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2008年に出版された拙書『零細起業―ナゾの職業「猫の手、貸します」』は絶版となりましたが、その後、日本の出版界は、電子書籍をめぐって急激な変化が起きています。Amazonのkindol日本語版の進出がこれまでの出版の概念を大きく変えたのです。

一言でいえば、本を出したい人は「いつでも自由に無料で出版できる」ようになった。業界の常識やしきたりは関係なし。再販制度・取次・委託・返品などのしきたりにも無縁の「新しい舞台」ができたのです。

 そんな出版界のルネッサンスに乗り遅れるわけにはいきません。そこでAmazonのkindle版を自作・販売してみることにしました。パソコン、スマホで1冊500円で入手できます。

ものの試しにダウンロードしてみて下さい。電子出版の成果が確認でき、自分自身のkindolスキルが高まったら、「猫の手」は自費出版を考えておられる皆さんの「kindol自分史出版」のお助けマンになります。

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2016年3月19日 (土)

東京藝大・取手市長賞作品

東京藝大の大学院美術研究科修士課程の修了作品で、第24回取手市長賞を受賞した七宝の作品を藝大・上野校地から取手市役所まで運び、設置を手伝いました。作者の小宮彩瑛(さえ)さんと連れ合いが知り合いだったもので、たまたまヒマだった私がお手伝いした次第です(3月17日)

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作品をカバーするアクリル板の保護シートをはがした途端に静電気が起き、底に撒いた細かい珪砂が舞い上がってしまうハプニングがありましたが、設置を手伝ってくれた市職員と2人のベテラン市議の協力で無事に設置されました。市役所本庁舎を入った真正面、受付の右側のスポットライトが当たる場所に、これから1年間展示されます。市役所に用事がない人ても、作品を見に行くだけでの価値があります。

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2016年2月13日 (土)

新八の木登り

最近わが家のネコ達は夕方5時になると、必ず近くの公園までの散歩を強いる。犬がいたり、騒ぐ子供がいると怖いのでエスコートを強要するのだが、春のように暖かかった今日の夕方、誰もいない公園で新八が桜の木に駆け上った。

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「ふん、ガキが木登りか」とシラケて離れるまるこ。
と、その直後、横枝に乗った新八がズルッと滑った。

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必死に懸垂。体をよじらせ、耐える耐える。
何とか落下は防いだが、今度は降りられない。
もう一度、この枝まで戻った時に後ろから尻を押したら墜落。
無傷で着地したが、家に戻ったからグッタリ、寝込んでしまったwww

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2016年1月29日 (金)

東日本ガス・JCOM・星野リゾート

 取材の最前線にいたころを知る人には「丸くなりすぎだ」と批判される昨今だが、小生「とんがりのDNA」が消えてなくなったわけではない。A級戦犯の孫による「戦後政治の全否定」、飲食店のから市役所職員にまで広がる「耳障りなため口」……不愉快なことは日常的にある。最近もこんなことがあった。
 昨年11月、東日本ガスの『ガス展』でシステムキッチンのビルトインコンロを注文した。メーカー社員の商品説明は分かりやすく、気持ちよく注文。契約は東日本ガスのジャンパーを着た社員が行ない見積書を手渡された。コンロの大きさを幅60cmにするか75㎝にするか迷っていたが「後日お伺いして現場を拝見するのでその時までに決めておいてください」と言われた。契約プレゼントで炊飯用の釜もくれるというから、ガスで炊いたご飯も楽しみとなった。
 数日後、東日本ガスの営業マンが来てキッチンサイズを確認、その際「60㎝にする」と口頭で伝えた。名刺は出さなかったが、ガス展での見積書に押された姓が同じ。でもなぜか顔が一致しない。それはともかく、注文後12日目に交換工事が行なわれた。朝から換気扇フード内の油汚れを5%アルカリ液で落とし、新品コンロ受け入れ準備を万事万端整えた。工事の人も気持ちのいい職人さんだった。ところが工事の人が帰った直後、コンロ周りに置く物を並べてみると以前のように置くことができない。「おかしいな」とメジャーで計ってみると、あれれ、注文した横幅60㎝ではなく75㎝の商品だった。お陰で調理スペースのカウンターが左右7.5㎝ずつ狭くなってしまった。これが嫌で迷っていたのに……
 すぐに会社に電話をすると「お客様サービス向上のため録音させていただいています」とのコールの後、男性社員が出た。事情を説明すると「すぐに担当者から電話させる」と言う。携帯電話でかけてきた担当者は「75㎝ではダメですか? 分かりました。すぐに再発注します」と言って電話を切った。しかし2週間たってもなしのつぶて。しびれを切らして電話をし、コールセンターの女性に事情を話す。「電話をさせます」と言ったがその後1週間、誰からも何も言ってこない。
 1週間後、再度コールセンターに電話した。かなり頭に来ていたので、「こんないい加減な対応をする会社は初めてだ。責任ある人からの連絡を求める」と言った。しばらくして「所長」と名乗る人物から電話があった。「担当者から報告は受けていた」と言うのだが、では、どのような対応を命じたのか、いつどのような再工事をするのか、それを聞いても答えはあいまい。これは社内問題ではなく、看板を掲げた会社と消費者との問題であることの認識が感じられない。電話録音も「サービス向上のため」というより「クレーマー消費者の暴言記録のため」ではないかという気がする。
「(担当者に)謝罪に行かせる」と言うが、私はクレーマーじゃない。早く、注文した商品を取り付けてくれればそれでいいのだ。断った。それでも再工事までにさらに1週間以上かかった。Amazonで注文すればその日のうちに商品が手に入るご時世に、このスピード感のなさは滅亡した「マンモス状態」と言ってもいい。
 交換工事は完了したが、担当者は請求書も納品書も持参していない。念のため料金を確認すると「75㎝と60㎝とは同額」だという。そんなわけがない。ガス展時の説明では60㎝は4,000円安かった。その時のチラシとメモを見せて説明した。すると、「同額値引きします」と言う。
 誰しも間違いや失敗ははある。私も現役当時は、思い込みによる誤報もやった。問題は間違いをした後の対処の仕方なのだ。後始末の仕方に、会社と社員の誠意と力量が問われる。年が明けて2月になろうとしているのに成約記念プレゼントの炊飯釜は未だに届いていない。この件でも10日ほど前コールセンターに電話をしたが「後ほど電話させます」と言ったきり。毎度のごとくなしのつぶて。別に2〜3000円の鍋釜が欲しくて文句を言っているわけではないが、先方はおそらくそんな目で見ているのだろ。そして月明けにはコンロ代は自動振り落としされる。公的事業主である東日本ガスのこの無責任体質は何とかならないのか。電力のように都市ガスも消費者が選択できるようにならないものだろうか。
 一方、対応が真逆だったのが通信のJ-COM。正月明けに寝室のテレビのリモコンが作動しなくなった。寝る前にニュースをチェックしてベッドの中から電源を切るという日常行動ができない。布団の上で温まっている猫も、テレビ本体のスイッチをOFFにするために起き上がると不機嫌になる。そこでケーブルテレビのJ-COMにメールで相談した。1時間もかからず返事が来た。「1週間以内に無料でリモコンを送る」と言うのだ。品物は5日で届いた。お陰で猫の安眠を妨げずにテレビを消すことができるようになった。快適である。
 さらに昨日、2台のテレビの入れ替えをやっていたら、1台のテレビが映らなくなってしまった。J-COMのカスタマーズセンターに電話。修理方法をあれこれ指示されてやってみるが一部のチャンネルしか写らない。コールセンターの女性は「J-COM機器の問題の可能性がある」と判断、3時間後には修理の人が駆けつけてくれた。やはり機器のトラブルだった。レンタル物のなので無料で新しい機器を取り付けてくれた。ホッとした。甘利辞任会見のライブは見ることができなかったが、頭が下がる思いだった。
 競争が激しい通信業界は、トラブル対応には常にスピード感を持つようにしているのだろう。一方、地域の独占企業体である東日本ガスには、消費者最優先のサービス精神が欠けているのかもしれない。電気・ガス・水道・通信はどれも欠かすことができないライフラインである。阪神淡路大震災の後、大阪ガスの社長にインタビューしたが、彼はゴルフ場に向かう車の中で地震の発生を知り社にUターンした。東日本大震災の際は、通信も含めてライフライン関連業界は不眠不休で復旧に当たった。それらをこの目で見た者としては嫌でも両社の対応を比較してしまう。
 1日〜2日テレビが映らなくても死なないが、ガスがなければ死ぬことさえある。テレビ電波が漏れても誰も死なないが、ガスが漏れれば大惨事が起きる。トラブル対処のスピード感でいえば、ガス会社は通信会社の何百倍もの速さを求められるのだ。この二つの体験から出た私の結論は「独占企業体の社風にはサービス精神がない。正当な競争原理を導入しなければ人も会社もダメになる」ということである。
 話は変わるが、今や日本中の観光スポットを席巻している「星野リゾート」にも一言文句を言いたい。昨年末、1泊1部屋10万円也の部屋に泊まった。贅沢な時間と空間に癒されたが、夕刻、ベットに横になっていた時、部屋のメンテナンスの女性が入ってきた。合鍵でドワを開けたとたん、2人連れの女性の会話が飛びかった。
「あら誰もいないわ」「外国人じゃなさそうね」「そうね」。2人の会話は「外国人でなくてよかった」とのニュアンスだった。全国展開の「星野リゾート」には、外国からの裕福層旅行者が多いのだろう。その人たちのマナーの悪さに現場は閉口しているのだろう。
 
「ガイジン!」という人種差別的言葉(スポーツ紙が昔よく使った〝害人助っ人〟、先の大戦中、日本生まれ日本育ちの日本国籍者を〝内国人〟と呼び、それ以外の人を〝三国人〟〝外人〟と呼んだこと)を使わなかったのはせめてもの救いだが、客の面前ではニコニコ、ニコニコ、丁寧な言葉遣いの従業員たちだが裏ではこんな「外国人差別」と思われるような会話をしているのだ。内村鑑三がこよなく愛した「星野リゾート」、今や日本の観光業界のトップランナーとなった「星野リゾート」でこんな会話を聞くとは思わなかった。
 不必要で歪んだ競争を強いる自由主義経済は嫌いだが、本心からの誠意がなく言動に裏表がある企業や人間はもっと嫌いだ。

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2016年1月 1日 (金)

新年おめでとうございます。

 新春恒例の「おせち」のご紹介から。料理・盛り付けは全て連れ合いです。右から一の重……重箱も新しくなりました。

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 缶ビール2本とお雑煮(餅3個)の「呑み初め」「食い初め」をした後、これまた恒例の「元旦散歩」。昨年11月に開通した常磐線を高架で渡れる県道まで行ってみました。往復7,459歩でした。

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 雲一つない青空に、見たこともない大きな猛禽類が飛んでいました。高架から見る下界はのどかな田園風景が広がっていますがいずれ近いうちに再開発され「商業・産業地区」に変貌するようです。そして今年の年賀状はこんな形にしました。

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 イラストはご近所の「猫友」が描いてくださったもの。「猫の手」のロゴとともにTシャツにプリントされたオリジナル作品です。モデルは、まるこ。
本年もブログ「ネコヒカリ」をどうぞよろしくお願いします。

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2015年12月31日 (木)

2015年とともに去っていった人たち

2015年(平成27年)も、多くの出会いと別れがあった。
新たな「出会い」はほとんどが『ガーデンハウス・猫の手』関連だが、別れは、20代の頃から「ボス」と仰いだり、的確で貴重なコメントによって私自身を成長させてくれた方、取材相手が多い。印象に残る方の名前を羅列してみると
• 1月  奥平康弘(憲法学者)、赤瀬川隼(作家)、園田天光光(元衆議院議員)、古川のぼる(元日本家庭教師センター学院長)
• 3月 浅井信雄(国際政治学者)
• 4月 山岸一雄(「大勝軒」創業者)、羽柴誠三秀吉(選挙運動家)、小島功(漫画家)、愛川欽也(司会者)、最上進(元参議院議員)
• 5月 白石勝(元文芸春秋社長)、松下圭一(政治学者)、高木教典(東大名誉教授)、吉川勇一(元べ平連事務局長)
• 6月 町村信孝(元衆議院議長)、馬場昇(元社会党書記長)、大竹省二(写真家)
 
• 7月 田邊誠(元社会党委員長)、北沢洋子(国際問題評論家)、紀平悌子(元日本婦人有権者同盟会長)、鶴見俊輔(哲学者)、上田昭夫(元慶応大学ラグビー監督)、塚本勝一(自衛官、元陸幕二部長)
• 8月 山口鶴男(元日本社会党衆議院議員)
• 9月 川鍋孝文(『日刊ゲンダイ』取締役会長)、塩川正十郎(元内閣官房長官)、 川島なお美(女優)
・10月 奥西勝(名張毒ぶどう酒事件死刑囚)、篠原一(政治学者)、佐木隆三(作家)
• 11月 阿藤快(タレント)、水木しげる(漫画家)
• 12月 野坂昭如(作家)、安藤昇(ヤクザ) 、 君塚栄治(第33代陸上幕僚長)
 昨2014年に鬼籍に入った方の中で一番印象的だったのは土井たか子さんと國弘正雄さんだった。今年は、川鍋孝文さんと野坂昭如さんのお二人である。
 川鍋さんについては先にブログに書いた。「評伝」に関しては何も進んでいない。
 野坂さんは新潟3区から衆院選に立候補した時、前日から密着取材をしたことが印象に残る。第一声を新潟駅前で行なおうとしたら、他の候補者が演説をしていたので「終わるまで待つ」と言う。だが、『日刊ゲンダイ』の編集記者だった自分は「原稿の締め切り時間があるから早くやってもらわねば困る」。そこで、駅前から選挙事務所に戻ってもらい、瓶ビールの箱に乗って第一声の演説をしてもらった。そのときの様子が『朝日新聞』夕刊に大きな写真で載った。野坂さんの後ろで、トレンチコートを着てメモを取っているのが当時の私だ。それにしても野坂さんの「(原稿)締め切り破り」には往生した。

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2015年11月10日 (火)

『日刊ゲンダイ』の川鍋さん「お別れ会」

『日刊ゲンダイ』の創刊編集長であり、代表取締役会長だった川鍋孝文氏の「お別れ会」が昨日(11月9日)、帝国ホテル「孔雀西南の間」で行なわれた。9月27日、食道がんのため79歳で亡くなった川鍋さんは、ヒゲダンスが流行れば銀座の文壇バーで踊ってみるチャメッ気がある才人だった。米大統領の前でプレスリーを真似た小泉純一郎の、あの陽気さと才気とどこか通じるところがある。

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 私が川鍋さんの下で働らかせてもらったのは、1975年(昭和50年)9月から1993年(平成5年)8月までの17年11ヵ月。ほぼ毎日、車座になって朝まで酒を飲み、「ニュースとは何か」を議論した創刊時の熱気は生涯忘れないだろう。その後も夕刊紙、週刊誌の創刊に立ち会ったが、あの時は違った。いま思えば、それは川鍋さんという稀有の編集者のパトスが、オーラのようにその場を覆い包んでいたのだろう。

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「川鍋流」と言われた独特の長いタイトルは、創刊40年を過ぎた今も引き継がれている。あれこそが「日刊雑誌」(出版社が発行する単なる新聞ではなく、毎日出す雑誌)というコンセプトを一番分かりやすく体現している。

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『週刊現代』編集長時代の「直撃インタビュー」のように、『日刊ゲンダイ』でも「あの人は今」「やる気満々」「社長の私生活」などの連載企画を成功させ、そのタイトルはマスコミ界だけではなく一般社会に普通に使われる言葉として世の中に残っている。創刊以来川鍋さんを支えてきた下桐治社長の挨拶で幕を閉じた「お別れの会」。それは、一世を風靡した「川鍋流反骨ジャーナリズムの時代」が終わったことを意味するのかもしれない。
『川鍋孝文とその時代』を、ジャーナリズム論として真正面から考察し、歴史的意味をひもどくことができる賢人はいないだろうか……

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2015年9月11日 (金)

鬼怒川堤防決壊は天災か人災か……

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(小貝川=手前と、利根川の合流地点。海まで79㎞)
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(1981年の小貝川決壊はこの高須橋の向こう岸。利根川合流地点から3.5㎞上流だ)

「大雨特別警報」も解除され利根川・小貝川氾濫の危機は避けられたが、鬼怒川堤防決壊は他人事ではない。鬼怒川の決壊地点は利根川と合流する手前。合流点の上流は本流の影響をうけて決壊しやすい。100年に一度の大雨が原因の「天災」か、ネットで一部話題に菜ているようにソーラーパネル業者が決壊地点の丘陵を削った「人災」か、いずれ判明するだろうが、この種の災害が起きるたびに私は「天災でも人災でもない、政災だ」と感じる。
 民放テレビで「決壊地点は国土交通省が決壊危険個所とシミレーションしていた近く」と言っていたが、それが本当ならば、堤防強化は予算・政策実行の最優先課題ではないのか。市議・市長・国政選挙のたびに、何とかの一つ覚えのように「安心安全な町つくり」という合言葉が氾濫する。本気でそう思うならば議員歳費・人件費・防衛費・補助金をバッサリ削って治山治水の努力をすべきではないか。選挙のときだけの口先三寸だから、あらゆる場面で「政災」が起きる。
 取手市の「洪水ハザードマップ」を見ると、わが家は、利根川が切れても小貝川が切れても2階の軒下・5m近くまで浸水するという。そうならないために、あらゆる手を打つのが「政治」及び「政治家」の役割だろう。(写真はいずれも10日午後5時前後)
※とても勉強になるサイト『小貝川下流域の地形条件と洪水

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