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2016年11月

2016年11月 5日 (土)

65年前の母親の寄稿を国会図書館で発見

 母親が65年前に寄稿した雑誌『保育』の記事を義兄が発見、国会図書館からコピーを入手してくれた。書かれた時は小生、3歳半の幼児。NHK朝ドラの定番パターンではないが、戦後の復興の中で希望と理想に燃えた一人の人間の熱い心が一字一句から読み取れる。転載許可を得ていないが「多くの人に読んでもらいたい」との愚息の一途な気持ちから文章を起こして再録させてもらう。

書誌名 『保育』 昭和2612月号(1951-12) 全日本保育連盟編
特集頁〝宗教教育〟(国図晝館所蔵)
1行の文字数、行替えは原文通りではありません。原文を忠実に再現するため漢字もできるだけ旧字体にしましたが、尊敬の尊、保母達の達、熱情の情はJIS、MS-IMEにないため新字体に変えています。また、一部漢字にルビを振りました)

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宗教幼稚園の經營とその特質

  浦和市 双恵幼稚園 松尾 清枝 

再建日本の國民の中に、最も重要で、そして緊急な事項として、取り上げられたものは、教育の改革と新しい教育の實施でありました。米國教育使節團はその二回の訪問をもって、日本の文化の各方面を視察して三千年の歴史の中に生じた多くの思想の誤り、教育の隘路(あいろ)を指摘して、自由と平和を標榜する民主的教育の原理を示し、新政育カリキュラムを生み出すしげきを與えてくれました。こうして荒廢した國土の中に教育という運河がひらかれて、これが總ての復興の母胎となるように導かれて参りました。

こうした教育の熱心はまた幼兒教育の畠にもその手がのばされ、殊(こと)に本年はフレーベル百年の記念の年として街頭に、晝齋に、講演會に、修養會に、彼の聲を聞き、彼の姿にまみえて、多くの幼兒教育者が自分の仕事に対して鋭い批叛を受け、反省と決意が促されました事は誠に喜ばしい事でありました。

私自身も、こうした活潑な動きの中に置かれて、また自分の周圍に集ってくる幼兒の輝かしいまなざしに勵まされてまことの新しい幼兒教育、殊に十年二十年の人間の教育の出發となり、土台となるべき幼兒教育の責任者として、夜晝、色々と思いなやみつつ生活している者であります。「保育」編集者の熱意にお應えして、貧しい所感を與えられた表題のもとにまとめてみたいと思います。 

一、宗教幼稚園の經營について 

宗教幼稚園は、その經營の目的を、人間の教育の根本宗敦でおり、人格の完成は唯一人在し給う眞の神の知識について、熟練する事にあると、考えて、宗教の知識と訓練を計る所にあります。教育の目標として神を考え多くの無神論的、また汎神論的教育哲學に對抗して、宇宙の主宰者にして、唯一人在し給う、そして木や石でない眞の人格的神を基本として、教育を考える教育であります。

最近の都會の復興の姿は實に急速であり、華やかであります。然しそれに比例して、人心の腐敗、殊に青少年の道徳的堕落は實に深いものがあります。 

空の星、野の花、母親の懐に無上の夢を描いた幼兒は、今日は金銭の浪費、享樂的個人主義に押し流されて、家庭の躾け、親子の愛                              、献身と犠牲の精神が影をひそめて行くように思われるのであります。この故に私は一日も早く、一人でも多くの幼兒に、神の姿を示したいと願い、宗教幼稚園の經營が自分に与えられた新日本の為め唯一の使命の道であると信じているのであります。 

 一、特質について 

 原理は搖がず、希望は大きくありますが。現實は必ずしも、そんなに華やかではありません。理想が高ければ高い程、幼兒に對する教育的評価はきびしくなり、また設備の方面についても次々に問題はおきて參りますが、實際の様子について一、二取上げてみたいと思います。

(イ)禮拜 

 禮拜は宗教幼稚園の教育課程の重要な一項目であります。入園式の日から、幼見は敬虔(けいけん)に手を合せる事、目をつぷる事、讃美歌を歌う事、聖晝の言葉を暗誦する事、聖晝のお話を聞く事を訓練させられます。入園希望の晝式の中に、子供の躾けについて希望する所を拾い上げて見ますならば、一四〇名のうち殆んど八〇%は「素直な子供」「禮儀正しい子供」「善惡の批判の出来る子供」「神を信仰する子供」となって居ります。稀に、音樂、繪晝、算数などについての専門的な希望もありますが、大半はの躾け、人格の訓練を願い、神を拜して、人生の荒波の日にも正しく處して行く事を祈る親の心であります。

(ロ)個人尊重

 今日の新しい教育の方針が個人を重んじ一個の人格が一切の形成原動力であると考えて、一的教育を避けてどこまで自由、且つ創造的な人格の養成を主眼として居りますが、これは眞に私共の教育方針と一致する所でありまして、イエス・キリストは「幼兒の一人をつまずかせるものは、石臼をその首にかけられて、海の深きに沈められる方が益(えき)である」と申されました。私共は大勢の子供の中の只一人も失う事のないように、むしろ不幸な者、弱い者の爲に心をくだき、保母達の愛の足りなさ、注意の足りなさを警戒しつつ、ガイダンスの努力も致しているつもりであります。

(ハ)社會性の訓練
 新設育課程の特徴が社會的協同生活を重んじ、社會の良好分子である公民を養成する事をもって教育目標として居りますが、これはまた基督教々理の大事な一面でありまして、幼子は幼稚園の庭において、「受くるよりも與うるは幸いである事」や「右の頬を打たれても左を用意する事」また「御國を來たらせ給え」の祈りこそ、人間が神に捧げ得る最大の祈りである事を覺えて参ります。そして世界の厤史の中に香り高く永遠にっている藝術も科學も文化も一切のよきものは、己れを捨てて、會と文化のために戦った人の遺産である事を知って、幼き者は、神と人とに奉仕しようという輝しい人生の希望を抱くのであります。 

(ニ)これにつれまして、P・T・Aの活動も愛と犠牲を喜び、様々の季節毎の行事や、設備の爲の費用を産み出すために、會長、副會長、幹事會を中心に、協力奉仕して下さって、幼稚園の成長と社會文化の向上に努力して下さって居ります。

(結)「いざや。我等をわれらが兒童に生かしめよ」フレーベルのこうした熱情にまされ、「幼子の我に來るをとどむな」と招き給う主イエスにする信仰の故に、力弱く、資力乏しい者でありますが御用に當らせて頂いて居ります。

 

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