大震災・原発炎上

2012年4月 2日 (月)

瓦礫受け入れ問題を考えるために

玉石混交のブログ記事。時々、ドキッとするような鋭い指摘や重要な情報が載っている。以下、ご紹介する「福島の母親たちより」は、がれき受入問題を考える上で極めて重要な問題提起をしている。記録のためにも転載しておく。

瓦礫の受け入れに反対をしてください。~福島の母親たちより~

『今年は復興元年』 

『瓦礫の処理が進まないことが復興を妨げている』
北九州へ避難した友人ばかりではなく各地へ避難した母親たちが、瓦礫の問題で苦悩の日々を過ごしています。

避難しても尚、気の休まる暇がないばかりか地元の住民の方々との意識の違いで孤独感を抱え、福島にいて散々苦労してきたことを、また繰り返さなければならない彼女たちの現状を思うと胸が締め付けられる思いでいっぱいになります。
難しい分析や見解などは専門家の方にお任せ致します。

瓦礫の受け入れをすることによって その後起こりうるであろう暮らしの変化や 放射能と共に暮らすということがどんな心情を伴うかということを 母親の立場で書かせて頂きたいと思います。
1年という月日の中で学んだことはたくさんあります。

本当のことは後から分かるということ。

細心の注意を払わないということは自ら被曝を受け入れることと同じだということ。

目を光らせていなければ、いろんなことはどんどんなし崩しになっていきます。

1年が経ったから大丈夫なんだという、なんとなくの流れが私たちの周りを囲んでいます。
何事もなかったということにしたいという思いが見え隠れし 原発事故って、こんなに軽いものなのだったの?と、あまりの終わった感でいっぱいの空気に脱力感でいっぱいになります。

私たちの悲しみに目を向けて、同情をして、分かち合いをして下さるのなら 瓦礫を受け入れるのではなく どうか、私たちの変わってしまった日常に目を向けて下さい。
季節ごとの楽しみは悲しみに変わりました。これらはもう元には戻りません。

子どもたちに『さわっちゃダメよ!毒だよ!』と自然を敵のように言わなければならないことはとても悲しいことです。

大好きなお花摘みもできなくなりました。

草の上を転がりながら遊ぶ子どもたちの様子を、目を細めながら眺める日々は戻っては来ません。

震災以降、私たちは『心穏やかに過ごす』という精神を失ってしまいました。

目の前にあるものは被曝の原因となるものかもしれず 子どもの行為ひとつひとつが危険を伴う行為かも知れない

そんな中で心穏やかにいるということは、とても難しいことです。
神経質な母親だからではありません。

それは、自分が子どもの成長に責任がある存在だということを、強く意識すればこそのことです。

私たちを、ひとくくりにしないでください。
不安定さは認めますが、意味もなく不安に駆られているわけではありません。

ここにとどまったとしても、できる限りの安全を確保したい それを日常の中で持続させ続けることは大変なことです。

心の休息を取らなければ、まいってしまうというのが正直なところです。
しかし、現状はといえば 震災以降、安全を確保するために努力をしている人たちは 県外の安心と思われる食材を取り寄せ、水も購入し、使い捨てのマスクも常にストックし 休みの日はなるべく遠くへ出かけ 被曝がどれほどのものだったのだろうかと実費で検査をし その出費をムダ遣いだと夫に叱られながらも 何度も検査を続ける母親の気持は悲しみでいっぱいです。
家計は見事に火の車 そのためには今まで以上に家計を切り詰め、働かなくてはなりません。

心の余裕どころか経済的な余裕すらなくなってしまい それが心の窮屈さに繋がってしまっていることも事実です。

常に何かに追い詰められているような日々 学校からのお便りが届くたびに出るため息・・・

『ああ、なんだか原発事故なんてなかったかのよう・・・。放射能に注意を払うような内容なんてどこにも見当たらない・・・』
教育の現場が、できる限りの策を常に考えて、子どもたちを全力で守ってくれるであろうという 私たちの予想は見事に外れたというショック・・・このショックはいまだに癒えていません。

当たり前に戻そうとする勢いに、不安を抱く母親の疲れは更に膨らんでいくのです。
それを共有できている人は幸せなほうです。

未だに一人ぼっちで悩みを抱えながらいる母親に 私は会いたいと思うのですが それもなかなかできていないかもしれません。
安心の度合いは人それぞれなので押し付けることはできません。

こんな教育委員会の言葉に、私は首をかしげます。

押しつけではなく、共通認識として、大人が子どもを守るという姿勢を見せるのが教育現場としてのあるべき姿なのではないでしょうか?

教育現場とのやり取りで、どれだけの母親たちが傷付いて涙を流していることでしょう・・・
先日、子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク主催のサミットに出席した際に『子どもの人権』という言葉を目にしました。とても大きく心が反応しました。

守られるべき子どもの人権が守られていないという現状。
まだまだ埋もれていますが 各現場での対応がどうであったのか 取り上げれば大問題になるであろう事例は山ほどあります。

私自身、震災以降、各家庭の線量を測定しながら、各教育現場がどんな対応をしているのかを聞き取りしてきましたが耳を疑うような話は本当にたくさんあり 母親たちの涙をたくさん見てきました。
そんなことが許されるのかと、本当に悔しさを噛みしめてきました。

みなさんに、私たちのような思いをしてほしくはありません。

私たちの現状を知って下さい。
毎日毎日が、今までとはまるで違ってしまいました。この空虚な思いは、なかなか伝わらないでしょうが

ほんの少しでもイメージをしてみて下さい。

分断という言葉をよく耳にしますが 意識の違いが生み出す分断は想像以上のものです。
放射能に敏感でいるということが、イコール、こそこそと身を守るという 

なんともおかしなことになっているのです。

私自身は堂々としているつもりではありますが 風評被害という言葉がここに存在する以上は ほとんどの人たちはNOという言葉を上げられないのです。
今までは有難いお付き合いであったことが今はそうではない・・・

頂き物をどうするかという、気まずい話もよく聞きます。

例えば、収穫の秋、自宅で採れた柿で干し柿を作るということは 本当に素晴らしい伝統的な食の楽しみであって

歓声を上げながら柿を取って縁側に腰をおろして家族総出で皮を剥いて 干し柿作りをする光景などは、今までならほのぼのとした秋の風物詩でした。
放射線量が高い福島市。私の実家でも、例年通りに干し柿を作りました。

それが届いた時の気持ち・・・柿の線量は高いということは食品測定所のデータで知っていました。

干している場所も高濃度汚染地域です。

親であっても意識は異なり説明しても通じることばかりではありません。

これを食べるか食べないか こんなことがずっと続いています。
これはごくごく小さな、ほんの一例にすぎません。

とにかく今までとは、全てが違うのです。

これ以上汚染を広めることはしてはいけません。

どうか瓦礫の受け入れにはNO!と言って下さい。

真実は後から知っては遅いのです。

私たちの悲しみを無駄にしないでください。
失ってから気づくことの多さに私たちは途方に暮れています。

痛み分けなど、私たちは望んではいません。

同じ思いをしてほしくはないのです。

防ごうと思えば防げることをどうか積極的に考えて頂きたいのです。
汚染された後に、どんなことになるのか具体的なことはあまり伝わっていないのでイメージができない

遠方から届くそんな言葉を受けてごくごく日常にある、私たちの暮らしや思いを、ここに書かせて頂きました。

これをお伝えすることは、私の友人たちも望んでいることです。

子どもを守るために苦労している、福島の母親たちからの祈るような思いが少しでも伝わりますように・・・。

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2012年3月 3日 (土)

必見! 動画で見る「2011年日本列島地震マップ」

これはすごい。
すごい動画を見つけた。
題して『2011年の日本の地震 分布図 Japan earthquakes 2011 Visualization map (2012-01-01)』。昨年1年間、日本周辺で発生したM3以上の地震情報入力した動画だ。気象庁発表情報を個人の方が非公式に作ったものと明記されている。
3月11日前後から、まるで打ち上げ花火を見ているように続発する地震の数々。
論より証拠。安心サイトです。ご自分の目で見て、確かめて下さい。
(このブログでは画面右側が欠けてしまいます。下の画像の、2011年の日本の地震 分布図と書かれた部分にカーソルを持ってきてクリックして下さい。yotubeのオリジナル画像にとびます)

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2012年1月23日 (月)

共同通信社配信の話題の記事(1月21日20時)

原発事故、最悪シナリオを封印 菅政権「なかったことに」

 東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末まで公文書として扱われていなかったことが21日分かった。複数の政府関係者が明らかにした。
 民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員会(委員長・北沢宏一(きたざわ・こういち)前科学技術振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。危機時の情報管理として問題があり、情報操作の事実がなかったか追及する方針だ。

 文書は菅氏の要請で内閣府の原子力委員会の近藤駿介(こんどう・しゅんすけ)委員長が作成した昨年3月25日付の「福島第1原子力発電所の不測事態シナリオの素描」。水素爆発で1号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したと想定。注水による冷却ができなくなった2号機、3号機の原子炉や1~4号機の使用済み燃料プールから放射性物質が放出され、強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性があるとしている。

 政府高官の一人は「ものすごい内容だったので、文書はなかったことにした」と言明。別の政府関係者は「文書が示された際、文書の存在自体を秘匿する選択肢が論じられた」と語った。

 最悪シナリオの存在は昨年9月に菅氏が認めたほか、12月に一部内容が報じられたのを受け、初めて内閣府の公文書として扱うことにした。情報公開請求にも応じることに決めたという。 民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員会(委員長・北沢宏一(きたざわ・こういち)前科学技術振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。危機時の情報管理として問題があり、情報操作の事実がなかったか追及する方針だ。

 細野氏は今月6日の会見で「(シナリオ通りになっても)十分に避難する時間があるということだったので、公表することで必要のない心配を及ぼす可能性があり、公表を控えた」と説明した。

 政府の事故調査・検証委員会が昨年12月に公表した中間報告は、この文書に一切触れていない。

     【解説】検証阻む行為許されず

 東京電力福島第1原発事故の「最悪シナリオ」が政権中枢のみで閲覧され、最近まで公文書扱いされていなかった。危機の最中に公開できない最高機密でも、公文書として記録しなければ、次代への教訓を残すことはできない。民主的な検証を阻む行為とも言え、許されるものではない。

 民主党は2年半前、政策決定の透明性確保や情報公開の促進を訴えて、国民の信を得たはずだ。日米密約の解明も「開かれた政治」を求める国民の期待に応えるための作業だった。

 しかし、今回明らかになった「最悪シナリオ」をめぐる一連の対応は、そうした国民の期待を裏切る行為だ。

 シナリオ文書を「なかったこと」にしていた事実は、「情報操作」と非難されても仕方なく、虚偽の大量破壊兵器(WMD)情報をかざしながらイラク戦争に突き進んだブッシュ前米政権の大失態をも想起させる。

 民間の立場で調査を進める福島原発事故独立検証委員会が文書の取り扱いをめぐる経緯を調べているのも、そうした民主的な視点に根差しているからだ。ある委員会関係者は「不都合な情報を握りつぶしていたのではないか」と指摘する。

 昨年末に中間報告をまとめた政府の事故調査・検証委員会が「最悪シナリオ」に切り込めていないのも問題だ。政府は民間の事故調査を待つことなく、自らが経緯を明らかにすべきだ。

  

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2011年12月 1日 (木)

フクシマの異常事態報告書

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3月11日から31日まで、福島第一原発の吉田晶郎所長が経済産業省や福島県知事に送付した「異常事態連絡報告書」のPDF21枚がネットにアップされている。原発専門家は、ここから何が読み取るのだろうか?

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2011年9月20日 (火)

東電のせいで「落ち葉も有害ごみ」

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千葉県の松戸市では8月末から、剪定した庭木の枝葉を可燃ごみとして出せなくなっているそうだ(写真=WEBから)。「剪定枝・落ち葉及び草の収拾の変更について」と題した回覧だが、それもこれも東電のせいだ。画像の文字が読みにくいので松戸市HPを引用すると。

《このたびの東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う、放射性物質の飛散が原因で、本市の焼却灰(飛灰)に含まれる放射性物質の値が、国の暫定的な基準値(8,000ベクレル/kg)を超えたため、対策として大口の剪定枝等の焼却施設への搬入を停止しました。

その結果、和名ヶ谷クリーンセンターの飛灰の値基準値を下回りましたが、クリーンセンターの飛灰の値は減少したものの基準値を超える状態が続いています。
今後の対策としまして、家庭から出る剪定枝・落ち葉及び草についても、当面、焼却施設への搬入を停止することになりました。
それに伴い剪定枝・落ち葉及び草の収集を、8月22日(月)から次のとおり行っていきますのでご理解ご協力をお願いします。

【剪定枝・落ち葉及び草を出していただく収集日】
 各地区の「資源ごみ」の日に出してください。
 資源ごみを収集する車両とは別の車両でまとめて収集を行っていきます(以下略)》

松戸隣接の柏市では7月、市南部クリーンセンターの焼却から1キロあたり最高7万800ベクレルが検出されたが、放射能灰はすでに小学校や住宅街に隣接する最終処分場に25トンも埋め立てていた。また、流山市も9月初めから松戸市と同様に回収方法を変更。
《燃やすごみ(週2回)として出していただいていた「剪定枝・落葉及び草」を、資源・有害・危険ごみ(行政回収の月2回)の収集日に排出していただきます》

有機農法に必須の堆肥の原料となる枝葉や落ち葉が、東京電力のせいで「有害・危険ごみ」になってしまったのである。程度の差こそあれ、あの日以来、日本列島は総汚染されていることは事実。東電は、化学肥料を一切使わず、有機農法・完全無農薬の野菜を作って食することを喜びとしてきた家庭菜園人達の楽しみも奪い去ってしまった。その罪は重い。

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2011年9月18日 (日)

液状化の街は今


首都圏の被災地・浦安市を散策視察。そこかしこでレンガ様の門柱や塀が傾いたままだ。解体・新築工事中の家も数あるが手付かずの家がほとんど。国の液状化対策や補償が定まらないのが原因とか。
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東京ディズニーランド近くの道路もこの通り。

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2011年8月27日 (土)

動画でみるメルトダウン

独立行政法人「原子力安全基盤機構」がフクシマ以前に、原子力防災専門官向け資料として作成していた「炉心溶融のシミュレーション」がyoutubeにアップされている。

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2011年7月 2日 (土)

「猫島」を助けよう!

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「一定」どころか「復旧のメド」も立たない被災地。宮城県石巻市の田代島(通称「猫島」)の復興のために、牡蠣養殖に携わる漁師さんたちが一口支援基金「にゃんこ・ザ・プロジェクト」を立ち上げている。
【この島の窮地をなんとか皆様に助けていただけないものかと悩んだ末、島のシンボルである猫にあやかり、この一口支援基金にゃんこ・ザ・プロジェクトを立ち上げるに至った次第です】(同HPより)
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震災前の田代島の猫の数は100匹あまり。島民より多かったという。
猟師さんたちと共存共栄してきた「猫島」のにゃんこの写真も満載。日ごろ猫に癒されている方、理屈抜きに猫が好きな方、なんでも結構、一口1万円だそうです。
【売上の内訳は、5割がかき養殖と漁業に必要な資材購入費などに充てがいます。また1割はねこ基金面に使用致します。残り4割は購入費、通信費、送料、維持管理費、経費として使用させて頂きます】(同HPより)
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【支援基金にお申し込み頂いた方々には、田代島特産島かきや猫ストラップ、田代島オリジナル猫ポーチといった、猫グッズなどを謝礼としてご郵送させていただきます】が、島かきの発送は【おそよ4~5年後となります】とのこと。復興にはそれだけの月日がかかるのだ。
東北の復興は長期戦。必要な時に必要な人に渡らない「日赤経由」の義捐金ではなく、こうした相手が見える自己責任的支援が必要な段階にきていると思う。

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2011年6月24日 (金)

放射能汚染図in関東平野

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この地図がいま話題の「放射線地図(改訂版)」だ。群馬大学教育学部地学教室(火山学)の早川由紀夫教授が作成したもの。同教授は自身のブログにこう書いている。
【放射能がいつどれだけ出るか、それは火山噴火と同じように不確定だ。わからないというのが正直だろう。しかし、3月に大量の放射能がばらまかれた。これは起こってしまった歴史的事実である。この事実をすみやかにできるだけ正確にとらまえる。これは「絶対に」やるべきことだ(略)火山噴火になぞらえていうと、致命的な噴火はすでに起こった。いまは、死に至る緩慢な過程にいる。この放射能から逃げない限り、やがてつかまって殺される。放射能は、溶岩や火山灰と違って目に見えない、知覚できない。知覚できないけど計器で測れる。計器に表示される放射能の強さは、厳然たる過去の事実だ。予測できない不確定な未来ではない(以下、略)】

この地図を元に書かれた『実態がわかってきた関東平野の放射能汚染』と題した『ダイヤモンド・オンライン』の記事も、たいへん分かりやすい。特に、毎時○○マイクロシーベルトと発表される空間線量の捉え方、つまり、ミリシーベルトで表わされる放射能の年間積算量への概算の仕方がよく分かる。あえて複雑な数字や単位を駆使することで「面倒クセー」と真実から目をそむける大衆を増やそうとする為政者(加害者)側の意図を見据えたいい記事だ。
こうした知識を吸収した上で自分の住まいのモニタリング数値を見ると【だから私は、大学生の子ども二人を、1ヵ月後に国外に避難させる。若者には無限の未来がある。それをこんなもんで台なしにされてたまるか】との早川教授の怒りが現実味を数百倍増す。何とかのひとつ覚えのように「直ちに健康に影響のあるレベルではありません」と繰り返す菅内閣・保安院・東電を殴りたくなる。

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2011年6月11日 (土)

村上春樹のカタルーニャでのスピーチ

201169日 (毎日JP=共同通信)

(略)福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます(略)

  ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう(略)我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです(略)
 
道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして(略)我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう(以下略)【関連記事】

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