中川昭一氏の急死と、中川一郎氏の自殺
中川昭一元財務相の急死を聞いた瞬間、ほとんどの人が実父・中川一郎の自殺を思い浮かべたことだろう。1983年(昭和58年)1月9日、自民党総裁候補・中川一郎は札幌パークホテルの浴室で死んでいた。早朝の発見者は夫人の貞子さん。「死因は急性心筋梗塞」と発表された。永田町では「北海のヒグマと呼ばれた男。心臓が悪いという話は聞いたことがない」と誰もが首をひねったが、「肝硬変寸前だった」との情報が駆けめぐり「肝臓病から心筋梗塞を引き起こした」という永田町的病気解釈・死因推論がまかり通った。
弔問に訪れた政界人たちは遺体を異常に熱心に覗き込んだという。遺体の首周りには、伊達政宗がつけていたようなヒダヒダの襟カラーが付いていた。特に当時の中曽根康弘首相が熱心だったと話題になり、「あのヒダヒダはなんだ?」という話が政界を駆け巡った。2日後、死因は「首吊り自殺」で「初老期鬱病だった」と修正された。襟カラーは「首に残った絞め跡を隠すため」だったのだ。
中川一郎氏の死には、いまだに「政界確執説」「裏切り説」「KGBエージェント説」「CIA他殺説」などがささやかれるが、自殺直前に一緒にゴルフをした政治評論家・飯島清氏(故人)が当時、こう言っていたことを思い出す。
「ゴルフ場からの帰り道、中川さんは尿意をもよおして車を降り、松林の中に入って行ったのだが、なかなか戻ってこない。どうしたのだろうと探しに行こうとした時に戻ってきたが、中川さんは“枝振りのいい木がなかった”と言うんだよね。心配になって自宅の寝室までお連れしたが、ベッドのそばのサイドテーブルの中には、こけしがぎっしり入っていて異様な光景だった」
父57歳、息子56歳の急死。G7酩酊会見帰国後、「ガンバレ! 日本一」と叫んで迎えた郁子夫人は聖心出身、元三菱商事OLだった。2人の結婚後、鹿島建設のサラリーマンだった父親(故人)は2階級特進したとの伝説もあるが、もう世襲はないだろう。半世紀にわたる「十勝の中川王国」は崩壊した。



















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